●県内写真集_霧島_和気神社(1) たるっちさんの写真(護王神社)    
山帽子さんの写真(安部山公園)
西暦769年(神護景雲3年)、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)より「道鏡が皇位に就くべし」との、託宣を女帝孝謙天皇(称徳天皇)が受けて、弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされる事件がりました。和気清麻呂は天皇の勅使として8月に宇佐神宮に参宮し、宝物を奉った後、宣命の文を読むことになりました。

神は 禰宣の辛嶋勝与曽女に託宣し、宣命を訊くことを拒みました。清麻呂は不審を抱き、改めて与曽女に宣命を訊くことを願い出たところ、身の丈三丈、僧形の大神が出現しました。大神は再度宣命を訊くことを拒みましたが、清麻呂は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ」という大神の神託を大和に持ち帰り、奏上しました。 

道鏡を天皇に就けたがっていた称徳天皇は報告を聞いて怒り、清麻呂を左遷、さらに別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させて、大隅国へ配流されました。


幕末、時の聡明な君主島津斉彬が京に寄られた際、三条実美卿から和気清麻呂公のことについて、桑原郡稲積里という場所を調査してくれという依頼があり、家臣に調査させたところ、現在の牧園町妙見という地だと判明したという事です。近くには、和気清麻呂が通っていたと伝えられる露天風呂があります。

和気清麻呂は道鏡失脚後、名誉を回復されて京に戻りましたが、程なく地方官へと転出させられて不遇の時代を過ごします。その後、桓武朝で実務官僚として重用されて高官となったという波乱万丈の人です。1851年(嘉永4年)、孝明天皇は和気清麻呂の功績を讃えて「護王大明神」の神号を贈りました。

1874年(明治7年)、神護寺の境内にあった和気清麻呂を祀った廟は護王神社と改称され別格官幣社に列し、1886年(明治19年)、明治天皇の勅命により、神護寺境内から京都御所蛤御門前に遷座しました。

また、和気清麻呂の出身地の岡山県和気町には、和気氏一族の氏神である和気神社が鎮座し、和気清麻呂・和気広虫が祀られています。 

和気清麻呂が宇佐へ配流された際、宇佐の近くで、脚が萎えて歩けなくなった和気清麻呂を300頭もの猪が現れて、道案内をし難事から救われたという故事(北九州市小倉北区など)から、護王神社・和気神社などでは狛犬の代わりに「狛猪」が置かれています。

当和気神社でも狛猪が本殿の前に鎮座しています。

この和気神社は藤が有名で、岡山の和気神社から贈られた藤など平成11年、和気清麻呂の生誕地である岡山県和気町 から和気神社に藤の幼木約100本が贈呈されました。 毎年4月中旬になると、見事な花房が楽しめます。 期間中は色々な催しが行われます。

いろいろ努力している神社で、藤棚以外にも白イノシシのあいちゃんが飼われています。

また、今年の干支のイノシシを描いた高さ8.2メートル、幅12.5メートルの巨大絵馬が飾られていますが、ギネス登録も検討されているとの事。

 

 

     

 

 

   
   


 

   
   

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