冠岳の鎮国寺

我が家(皇徳寺)から広域農道を西に辿って行くと串木野まで行けますが、その終点付近に冠岳への入り口の案内がありますが、そこを右折して案内にしたがって走ると、冠岳小学校、冠岳園を経て山道を上がっていけます。少し急な道ですが、頑張って登って行くと視界が急に開けたところに、高さ10mはあろうという徐福像が現れます。今から約2200年前の遥か昔の紀元前219年、中国は秦の時代でした。秦の始皇帝に不老不死の薬を手に入れてくると進言して、日本にやってきて、農耕文化や製紙技術などをもたらしたと伝えられている伝説上の人です。徐福渡来伝説の伝わる地は、熊野・佐賀・富士山・八丈島など、日本国内に実に二十数カ所もあるみたいですが、中国から真っ直ぐ日本に向かうと『中国の東方の海上に、蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、えい州という三神山があり、仙人がいて、不老不死の薬が手に入る』と言ったという徐福の話に合致するような趣のある山です。
鎮国寺は徐福像からさらに400mほど上に登った場所に冠岳西岳山頂を仰ぎ見る場所にありました。用明天皇の時代、勅願寺として蘇我馬子が熊野権現社を勧請するとともに、興隆寺を建立し、阿子丸仙人が天台宗を開いて、冠岳頂峯院というようになったそうです。その後は真言宗鎮国寺頂峯院というようになり、山上仏教の本山として仏教普及の中心となりました。近年再興され、参拝に訪れる方も増えています。

伺った時はイスラエルから仏教を学びに来られた女性が、境内でお仕事をされていました。丁寧な応対に感心しました。

 


冠岳西岳山頂を望む不動堂。冠嶽八十八ヶ所お遍路の一番と八十八番(結願所)がありました。
それぞれの札所で拓本を採りながら八十八ヶ所を廻るには、3泊4日かかるそうです。
冠嶽の頂上には40分位で上がれるとおっしゃってましたが、私には無理かもしれません。
 

枝垂れ桜が綺麗でした。杖の力を借りながら、息を切らして参道を登ったところで出会った不動堂には、日本の南の地を守り、世界の息災と豊饒を祈る事を目的とした、八尺余の一木造りの黄不動明王が祀ってあるそうです。当日は残念ながら、中を見る事はできませんでした。
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