●県内写真集_伊集院 妙円寺詣り 各地Top 次ページ
関ヶ原の戦いに豊臣秀吉への恩義で西軍に参加した島津義弘公は、僅か千名の兵力を持って苦戦苦闘しました。戦が不利となり無念にも生き残った将兵50余騎は、敵に背中を見せるのを潔しとせず、敵の大群の真っ只中に突入し血路を開いて敵の背後に抜け、苦難の山坂道を分け薩摩に引き上げました。義弘公は島津17代の藩主で剛勇かつ人徳高く産業を興し、民福を計って常に民と苦楽を共にしたと言われる名君です。晩年加治木で余生を過ごし、関が原の合戦から19年後85歳にて歿され、当時の妙円寺、現在の徳重神社に祀られました。妙円寺詣りは鹿児島の城下侍達が義弘公の遺徳を慕い、関ヶ原の苦闘を偲び、この合戦の行動を起した日旧暦の9月14日夜鎧冑に身を固め、義弘公の菩提寺である妙円寺に五里の山路をはるばる歩いて参拝して、士気を鼓舞し心身を鍛練したものです。妙円寺詣りは赤穂浪士伝輪読会、蘇我の傘焼きとならび鹿児島の三大行事の一つとして今日まで続けられています。

 

伊集院町内を練り歩く

 

伊集院町武者行列保存会の面々


徳重神社に向かう


 
境内では冑を支えながら歩く


  晴れ舞台



  


  映画の一シーンみたいですね



  


  子供にとっても晴れ舞台



  

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