1905年(明治38年)当時無敵と言われたロシアのバルチック艦隊を日本海海戦で全滅させた日本連合艦隊司令長官・東郷平八郎の墓地があるのが多賀山公園です。山頂には、鹿児島港を見下ろすように銅像が建てられています。銅像の眼下、祇園之洲は、薩英戦争の舞台となった所でもあり、東郷平八郎は、この薩英戦争に十五歳で参陣しイギリス海軍の力を目の当たりにしたことが、海軍への道を選ばせたきっかけになったと言われ、ここ多賀山に銅像が建てられた由縁でもあります。多賀山公園は中世の山城である東福寺城の城跡でもあります。島津氏が薩摩に下向して以来、三州統一に向かって鹿児島進出の拠点になった城が東福寺城でした。。 |
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